六、日本軍捕虜に対するソ連の赤化工作について

日本軍捕虜に対するソ連の赤化工作について


日本軍捕虜に対するソ連の赤化工作には少なからぬ熱意が拂われ、又相当な効果を挙げて居るものと思われる。捕虜に対する赤化工作の魁として、二十年の末ごろからハバロフスクにおいて「日本新聞」が発行され、各収容所に配布された。日本新聞はソ連の指導の下に数名の日本人が分担執筆し、日本語で印刷されたもので、天皇制資本主義社会機構の欠陥を暴露し、戦後における日本の国内事情を誇大に報道して、日本政府並占領軍の政策を批難し、軍財閥の罪悪史と敗戦の原因を描く一方、共産主義理論並社会機構を平易に解説し、東欧におけるソ連衛星国の復興振りを掲げ、北鮮と南鮮、東方独逸と西方独逸とを比較して共産主義制度の優秀性を誇示し、捕虜の頭の切替に努めると共に、兵と将校との間にわだかまる感情の溝を利用して階級意識を煽り、先ず収容所の民主化を宣伝した。この方法は功を奏し、各収容所のおけるソ連政治部員の指導と相俟ち、尖説分子に依つて各収容所内に民主グループなるものが組織され暫時その勢力を増して行つた。日本新聞はその後内容を充実し國除問題、日本の國内問題を随時解説すると共に、写眞グラフ及共産主義の初歩的理論、ソヴェート社会主義國家の組織構造〇業、経済等に関する關するパンフレツトを印刷配布すると共に、モスコー発行の共産党小史日本語版並びソ連人依る日本旅行記等も相当部数が各収容所に配布された。宣傳だ、嘘だと思つていても、〇い間同じ事を何囘となく聞かされると、あるいは?と思われて來る所に人間の〇さがある。敗戦の重圧の下に、何時帰れるとも知れぬ収容所の無味乾燥な生活環境下にあつて、捕虜〇の氣持が少しづゝ動いて行くのは当然である。ソ測は各収容所から、年少氣鋭の者を選拔して講習会を開催、指導者の養成に努めた。かくして民主グループの勢力は日益に増大し、民主会として組織を拡大し、旧將校團から収容所における指導権を奪つて、実権を獲得した。民主会は、壁新聞を発行し、新聞解説を行い、批判会、夜間講習会を開催すると共に、劇團、楽團を組織し、娯楽を兼ねての宣傳等活潑な活動を行つている楽團、劇團中特に優秀なものはソ〇の便宜供興に依つて、専門化し、各収容所を巡囘上演している。

 民主会は本年一月「反ファシスト委員会」として新発足し、益々活潑な宣傳並実践活動を行つている。かくして苟も民主運動に非協力の態度を持する者は、將校、兵の如何を問わず反動として他の収容所へ追放されるのが普通である。そのためこうした運動に反対の立場を採る人間であつても、目を閉ぢ、口をつぐんで民主運動に從つて行かねばならないのが現在の在ソ同胞の姿である。

 ソ側は収容所を包んで燃え広がつた民主運動の烽火を生産面に利用した。作業の超遂行がそれである。委員会の指導者達は「五ヵ年計画を遂行する事は世界平和を保証し、労働階級の福祉を増進する」、「五ヵ年計画の遂行は日本の民主運動に直結する」、「五ヵ年計画の四ヵ年遂行」を絶叫している。正に一石二鳥の名案である。

 こうした一面から考えると、在ソ同胞の帰還の後れる重大な原因の一つは労働力の利用にあるのではないかと想像される。

 在ソ同胞の最大関心事である帰還問題について、ソ側は、われわれは捕虜を出来るだけ早く帰し度いという意志と用意は充分あるが、日本政府並びに占領軍当局に誠意なく、船を出さないからだと日本新聞を通じ、又は収容所の係官を通じて宣傳し帰還と称して出発した同胞達が船が来ないから今暫く働いてくれと、他の収容所へ盥廻しになる事は珍しくない。

 同胞の帰還に対して誠意がない、食糧事情から帰還を希望しない、帰還しても面倒を見てくれない、食糧事情益々悪化、失業者一千万‥これ等の宣傳は帰國を最大の希望としている在ソ同胞の頭を左に向けるには確かに効果的である。

 現在各収容所には赤旗が翻り、革命歌が絶えないという状況で天皇制打倒、反動追放、人民政府樹立、世界平和と諸民族独立の城塞ソ同盟万才、勤労者農民の祖國ソ同盟、五ヵ年計画に協力するため生産競争を展開せよ、世界平和の敵フアシストを葬れ、祖國日本を米國の植民地化から救へ、…等のスローガンが強烈な色〇を以つて描かれ、レーニン、スターリンを始めソ連共産党幹部のの肖像画が掲げられている。

 なお樺太においても同胞に対する宣傳新聞「新生命」が発行され、樺太におけるソ連の善政?宣傳のため各収容所に配布されている。

 併し、日本に対する同胞のゆがめられた偏見は、引揚船に乗船と共に一部の人間を除いては、次第に訂正されて行く事実もまた見逃す事は出来ない。

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*1:昭和二十三年十二月 終戦後における哈爾濱総領事館員の動静 元哈爾濱総領事館在勤 外務書記生