二、哈爾濱出発迄の状況

 九月八日夕刻、ソ軍將校 〇訪「三十分程お話を承り度い」とて〇て進駐軍司令部に提出せる館員リストに基き太田領事、古〇領事、道〇副領事、目代、大神田、綱島、柘植、〇谷、村上、中島、丸山、酒井、鍬本、押野各書記生、宮本、〇〇各通訳生の氏名を読み上げ、厳重な警戒の下にトラックにて哈爾濱市〇砧街満州航空会事務所に連行、各自の経歴に関する簡單な訊問が行われた。なお海軍武官府からは前田大佐以下七名が我々と同時に連行され、同事務所に於ては先着の元満洲國外交部大石特〇員以下一〇名が既に訊問中であつた。同夜はそこで過し、翌日は元日本総領事館地下室に移され十日夕刻市内の道〇〇獄に収容された。以來二週間、寝具の給興なく、南京虫と寒さに痛められつつ二十四日迄同所で過した。監房内には王浜江省長田村〇次長、張哈爾濱市長、兒玉憲兵隊長、山本満鉄哈爾濱鉄道局総務部長等の〇も見え、他の監房には元総領事館嘱託コルドノフ、レービン両名の顔も見受けられた。二十四日夕刻トラックにて哈爾濱駅に送られ、待機中の貨車に乗車せしめられた。此の間在留の宮川総領事は進駐軍司令部〇にソ連総領事館に対し我々の安否に関し〇々祈〇したが要領を得ざりし趣にて、三井副領事、篠塚、石〇、金城、下松、伊野各嘱託、野村、新〇各雇員太田、石井、野村、佐藤各留学生等十二名と共に同日一足遅れて我々と同じ車輛に乗車せしめられた。之で拘引された者は先発の十六名と合せて二十九名、結局後に残つた男子は西方書記生、岩崎、山下各留学生、小林雇員の四名で、留学生は総領事よりソ側に交渉、ソ側と連絡の〇特に残留せしめたもので西方書記生は應召中の〇名簿洩となつたものである。総領事一行に依つて、我々に対しスーツケース各一個あて届けられたのであるが、車内に於ける所持品検査の結果、金属製品〇製品類は一切没収された。なお我々の車輛には外交部一〇名海軍武官府七名の外在哈独逸領事館コルテス書記生、ロッケンハーゲン嘱託、白系露人二名が同車、よく二十五日未明哈爾濱出発車中五日を費し二十八日夕刻ウオロシーロフに到着したのである。

(館員拘引〇に於ける家族の状況に就ては別途西方書記生寄り報告済)

 (昭和二十三年十二月 終戦後における哈爾濱総領事館員の動静 元哈爾濱総領事館在勤 外務書記生)