一、終戰前後における哈爾濱の状況

一、終戰前後における哈爾濱の状況

 昭和二十年八月九日ソ軍の満州國攻撃が開始されるや、哈爾濱には同日午前三時ごろソ軍の爆撃機が飛來し市内浜江駅に爆弾を投下倉庫一棟が炎上した。

 ソ軍は瞬く間に國境線を突破し、刻々牡丹江、哈爾濱方面に進撃中との報道あり、市内には逐次日本軍の数も増加し、人心は漸次緊張の度を加えて行つた。

 総領事館においては緊急事態に備えて宮川総領事指揮の下に各館員の分担を定め、電信コード、機密書類の廃却に着手すると共に、本省に資金を請求し防空施設の強化、籠城物資の購入等万全の策を決定した。

 十一日御眞影は道正國領事、中島書記生によつて新京大使館に奉〇された、十三日新京大使館は関東軍司令部と共に通化に移動の情報あり、この日哈爾濱に避難してきた在牡丹江古〇領事以下館員六名は哈爾濱総領事館に合流行動を共にすることとなつた。宮川総領事は田村浜江省次長等と諮つて哈爾濱を非武装都市として宣言する様軍に要請する所あつたが、軍作戰は哈爾濱を第一戰防禦陣地とすることになつて容れられず市内の各要所には陣地の解築が開始された。十四日夕刻総領事以下総領事館に集合、大使館に合流のため通化に移動するか、又は大使館とは別箇に京城まで非難するか、あるいは最後まで哈爾濱に〇止まるべきかについて熱烈な討議が行われたが、討議続行中十五日に重大放送がある旨のラヂオニゥースあり、結局重大放送をまつて総領事館としての態度を決定することとなつたが、翌十五日無条件降伏の詔勅があつたので館員及家族は総領事官邸並官邸に隣接の官舎に集結することとなり、一部の女子属員を除き牡丹江館員、畄学生を加え十七日移糙を完了した。

 本省からの送金未達のため、資金は〇取〇満州中央銀行哈爾濱支店から拾万円、廣浜正金銀行哈爾濱支店から五万円計拾五万円を借用し、〇〇施設を強化すると共に食糧品を購入し、家族数に應じ各館員に公平な配給を行うこととし、その後哈爾濱に避難の在黒河三井〇領事並家族、チチハル分〇所主任廣島書記生の家族をも収容し籠城態勢を整えた。

 この間、予て〇〇〇のため哈爾濱市内の赤十字病院に入院加療中の佐々田良畄学生は十四日同病院において死亡。十八日、酒井、中島両書記生の奔走によつて辛うじて火葬に附することができた。

 十七日宮川総領事は降伏条項條項調印式に列席のため、秦関東軍参謀長、秋草哈爾濱特務機関長と共に、飛行機にてウオロシーロフに赴き、ソ連極東軍司令官ワシリエフスキー元帥と会見の席上、在満邦人の生命財産保護の保証を得十八日帰哈この旨放送すると共に新聞紙に達示として発表した。

 このころ連日の列車で奥地からの避難民は哈爾濱駅頭にあふれ悲壮な情景を呈していたが、総領事は太田領事以下を督励、古〇領事、三井副領事と協力して、官邸に仮事務所を開き、在哈ソ連総領事とも連絡の上、在畄民保護のため狂奔走したが、十八日ソ軍先遣部隊は空路哈爾濱に到着し同日夕刻総領事館はソ聯に接収され、二十一日には哈爾濱地区における日本軍の武解除が行われた。

 (昭和二十三年十二月 終戦後における哈爾濱総領事館員の動静 元哈爾濱総領事館在勤 外務書記生)